目玉のおやじが昔の姿に戻ったんだってよ。
鬼太郎が玄関から外を覗く。家の前には本来の姿を取り戻した目玉おやじを一目拝もうと妖怪が殺到していた。
噂は瞬く間に広まった。
昨日、目玉おやじが高熱を出し寝込んだかと思うと、爆発音とともに全裸の大男に変身した。突如として現われた不審者に仲間たちは騒然としたが、旧知の仲である砂かけ婆が目玉おやじだと気付きその場は事なきを得た。
今は腰に布を巻きつけただけのスタイルで、衣服の調達係に任命された猫娘と砂かけ婆を待っている。
外の様子を伺っていた鬼太郎は溜め息を吐き、隣に立つ大男を見上げた。
「父さん。どうしましょう」
「うむ、さすがわし。人気者じゃのう」当事者である目玉おやじはへらへらと答えた。どことなくうわの空で、足が地に着いていない様に見える。
その様子に鬼太郎が目付きを鋭くし捲し立てる。
「そうです、父さんは人気者なんです。それに有名人だ。今の父さんが本来の力を発揮できないと知れたら何が起こるか分からない。滅多なことはしないで下さいよ。分かりましたね?」
目玉おやじはしゃぐ内心を咎められたことに居心地悪く思い、背筋を伸ばし体裁を取り繕った。
鬼太郎の言葉通り今の目玉おやじは非力であった。
あの後、元の体を取り戻せた喜びから、生まれたままの姿で駆け出し己の非常に高いフィジカルを解放した。いや、しようとしたが何も無いところで足をひっかけ盛大に倒けた。はて、戻ったばかりで体が鈍っているからか。と、その後色々と試してみたが身体能力が一般妖怪よりも著しく低いと分かった。加えて妖力が全く使えないことも発覚した。
つまり、今の目玉おやじはほとんど凡人である。
「問題ない、たとえ非力でもわしには知識と経験があるからの」
「父さん……」
鬼太郎の咎めるような視線が刺さる。
だが浮き立つのも仕方がないだろう。鬼太郎が産まれたての小さな頃から自身はもっと小さく、逆に世話をかけてばかりであった。しかしこの体であれば、今からでも父親らしいことができるであろう。
それにしても、こちらを見上げるわが倅のなんと愛らしいことか。目玉おやじは大きな肉体を屈め鬼太郎をひしと抱きしめた。
「さすがじゃのう。砂かけ婆、猫娘。ほれ、ぴったりじゃ」
「お安い御用じゃよ」
次縹色の和服を身にまとった目玉おやじがその場でくるりと回る。猫娘は柳眉を下げ嘆いている。
「はあ、勿体ない。スタイルがいいから流行の服も着せたかったんだけどな」
猫娘の背後にはショッピングモールで手に入れた紙袋が並んでいる。
「一番動きやすいのがこれなんじゃよ。股引きは窮屈でかなわん」
「ふぅん、そお……ちょっと待って。下着履いてないんじゃないの?」
「ヒャヒャヒャ、ノーパンじゃ!ノーパンおやじ!」
いつもの面々が揃ってずいぶんと賑やかになった。家長が大きくなったことにより、もとより手狭な鬼太郎の家はさらに密度が高くなっている。目玉おやじが動くたびに床が軋んでいる音がして、鬼太郎は不安になり窘める。
「父さん、あまり暴れないでください。床が抜けそうです」
鬼太郎の言葉に目玉おやじは不服そうに眉間にしわを寄せ腕を組んだ。
「なんじゃと、騒いでおるのはわしだけじゃない。……まぁよい、ちょいと外の空気を吸うてくるわ」
その言葉に鬼太郎は面食らった。別に外に出て行けと言ったわけではない。もしかして、機嫌を損ねてしまったのだろうか。
「……外にはまだ妖怪たちが居て危険です。ほとぼりが醒めるまで待った方がいいんじゃ」鬼太郎は目玉おやじを引き留めようと手を伸ばす。
「しかし、このままじゃ埒が明かんじゃろうて。なに、少々話をするだけじゃ」
「ちょ、待って。父さん」
まごついているうちに目玉おやじは家から出て行ってしまった。鬼太郎の掲げられた腕が行き場を失い宙を彷徨う。父に置き去りにされ呆然とする鬼太郎を、皆が静かに見守っている。
痺れを切らした猫娘が「……追いかけたらどう?」と言うと、鬼太郎は正気を取り戻し父のもとへ駆けて行った。
鬼太郎の監視の下、目玉おやじに一通りの質問をして満足した妖怪たちは、蜘蛛の子を散らしたように解散した。鬼太郎は安堵の表情を浮かべる。
「ほれ、杞憂じゃったじゃろう。想像しているような悪いことはほとんど起こらんのじゃよ」目玉おやじは大きな掌を広げて鬼太郎の頭を撫でた。
「……はい、でも決して軽はずみな行動はしないで下さい。約束ですよ」
大人しく待っていてくださいね。鬼太郎は目玉おやじに再三念押しし、子泣き爺の監視を付けて外出した。
久しぶりに妖怪ポストへ手紙が投函された。中身を確認すると、町で子供が数名行方不明になったと綴ってあった。送り主は失踪した子の姉だという。
「心配じゃ。誘拐犯じゃと?やはりわしの助けが必要なのではないか?今からでも追いかけるべきか?」
「ええい、うっとうしい。少しは落ち着かんか!」
発情期のクマのように部屋をうろつく目玉おやじを子泣き爺が叱責する。鬼太郎たちが出発する時も着いていくと駄々をこねて大変だったのだ。大の男が小柄な少年に縋りつく光景は異様な迫力があり、それを見ていた仲間たちは少しばかり精神的なショックを受けた。
ふたりになって一時間と少し経つ。そろそろ大人しくして欲しい。鬼太郎をダシにして情に訴えたらどうだろうか?
落ち着かない目玉親父の前に立ち、できるだけ威厳があるように尊大な態度で腕を組む。
「おやじが鬼太郎を心配するのと同じくらい、鬼太郎もおやじのことを心配しておる。少しは倅の気持ちを汲み取ってやれ」儂のためにも。
最後は口に出さなかったが、その言葉を聞いた目玉おやじは渋々ちゃぶ台の前に座った。ようやく静かになった目玉おやじに安堵した子泣き爺は、自身が尿意を催していることに気づく。少しくらいなら離れてもいいだろう。
部屋にひとりきり残された目玉おやじは子泣き爺の言ったことを反芻していた。
肉体が元に戻り、父親らしいことをしてやれると思ったのだ。いつも守られてばかりだが、これからは自ら倅を守れると。しかし、思うように体が動かないと気付いた時、それは困難であると悟った。
無性に口惜しく、情けなく、腹立たしく思った。半ば意地になり、いいところを見せたいと、自分の思いばかりを優先して鬼太郎の気持ちを蔑ろにしていた。
今朝も駄々を捏ねてみっともない姿を見せてしまった。じわじわと自身の行動に羞恥心が芽生えて、白髪の頭を掻きむしる。
ちゃぶ台に突っ伏し悶えていると誰かが家に上がってくる音が聞こえてくる。子泣き爺が戻ってきたか? しかし、忙しない足音とともに、思わぬ人物が駆け込んできた。
「たいへんだ、親父。街の方で妖怪が暴れてるんだ!」
ただならぬ様子で家に転がり込んできたのはねずみ男であった。どうやら妖怪が悪さをしているらしいが、今の目玉おやじにはどうすることもできない。
「ねずみ男……すまぬが、今は鬼太郎がいないのじゃ」
「鬼太郎はそいつにやられて動けなくなっちまったんだよ!」
その言葉を聞いた目玉おやじは勢いよく立ち上がり、ねずみ男の痩せた肩を両脇から掴んだ。
「ひぃ……」眼前に迫る目玉おやじの凄まじい剣幕に、ねずみ男は思わず悲鳴を漏らす。
「どこじゃ、今すぐ連れて行け!」
「わ、わかったよ。案内するから離してくれっ」
目玉おやじはねずみ男とともに家を出た。
鬼太郎よ、どうか無事でいてくれ!
「鬼太郎はどこじゃ?」
ねずみ男と目玉おやじがたどり着いた場所は、郊外の大きな洋風の屋敷であった。暴れまわる妖怪はどこにも見当たらない。
「ここの主人が鬼太郎を匿ってるんだ。ほら、ついてこいって」
そう言うと、ねずみ男は勝手知ったる様子で裏門から屋敷へ入っていく。手入れの行き届いた庭を通り、重厚な木製の扉を開けると、そこは広いホールであった。
「あの部屋にいるぜ」ねずみ男は向かいの方にある扉を指さした。目玉おやじは脇目も振らず扉の方へと駆け、勢いよく開ける。
扉の先に部屋は無く、長い廊下だった。どういうことだ?
ねずみ男を振り返ろうとすると同時に背中に殺気を感じ、膝を折って上体を屈む。上を向いた視界には、繊細な細工の照明と、奇襲に失敗し驚く巨漢の姿が映った。
巨漢は地面に這いつくばる目玉おやじを捕えようと手を伸ばす。だが、その瞬間には膝が折れていた。右膝の関節が蹴られ、押し込まれて、反対側にくの字に折れ曲がっていた。巨体が傾ぐ。
悲鳴を上げる巨漢を高下駄が踏みつける。目玉おやじはねずみ男に尋ねた。
「これは一体どういうことじゃ、ねずみの」
開きっぱなしの扉の向こうで、ねずみ男が冷や汗を掻き目を丸くしている。
「おいおい、今の親父は弱いって話じゃなかったか?」
目玉おやじが鼻を鳴らす。確かに元よりも弱いが、自分には長年培った武術の心得がある。この姿で人間相手に負けるわけがないだろう、と。
それよりも。
「騙したのか。鬼太郎はどこにおる」
「ちっ……くそ。鬼太郎なら初めから妖怪にやられてなんかいない。あれはあんたを誘き寄せるための嘘だ。詳しくは知らねぇがここの主人に大金を積まれて、あんたを誘き寄せるように頼まれたんだ」
騙されたことは癪だが、鬼太郎が無事と知り目玉おやじは安堵した。
しかし、このわしを拐かすとは一体何が目的じゃ? 考え込んでいると廊下の向こうから中年の男が歩いてきた。倒れた巨漢を助け起こし、使用人らしき男に預けると目玉おやじに首を垂れた。
「目玉おやじさん。先程は手荒な真似をして大変失礼しました」
男はここの主人だと名乗った。質素に見えるが上質な仕立ての服を身に纏い、清潔である。しかし、血色が悪く、目の下にはクマが浮かんでいる。緊張状態にあるようで、落ち着きなく手に持ったハンカチを額に当て脂汗を拭っている。
「あ……あなたの助けがどうしても必要だったのです。ですが到底応じてもらえるとは思えない頼みだったため、あ、あの男を雇ってあなたを拐うよう、命じました」男は震えながらそう言った。
いかなる理由があろうと人攫いなど感心出来ない。しかし目の前に居る男はあまりにも哀れに見え、目玉おやじの心に燐憫の情が湧く。
「ふむ、聞くだけ聞いてやろう。その頼みとは何じゃ?」
「いいのですか?」
「聞くだけじゃ」
その言葉に男の顔が明るくなる。
「は、はい!まずは、私の息子に会って貰いたいのです。こちらに来てください」
屋敷の主人についていく。ねずみ男はいつの間にか居なくなっていた。